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善澤

夜讀《小窗自紀》,有這樣兩句:

“儒有一畝之宮,自不妨草茅下賤;士無三寸之舌,何用此土木形骸。”

讀書人有一棲身之所,即可安心向道,縱使清貧又何妨。士人若不能善用才學,縱得此百年人身又有何用?

由此聯想到《孟子》中的名言:

孟子謂宋句踐曰:“子好遊乎?吾語子遊。人知之亦囂囂,人不知亦囂囂。”

曰:“何如斯可以囂囂矣?”

曰:“尊樂義則可以囂囂矣,故士窮不失義,達不離道。窮不失義,故士得己焉;達不離道,故民不失望焉。古之人,得志澤加於民,不得志修身見於世;窮則獨善其身,達則兼善天下。”(《孟子·盡心上》)

【注】“囂囂”,安詳自得之意。

一個人若能做到不失義、不離道,那麼不論得志與否,都不會失去他清靜的本心。窮通前定,本非人力所能強求,然而如何看待前生種下的因果,卻是人自己可以選擇的。

窮時不必哀傷寂寞,自憐身世。人生百年,浮歡障眼,蝸角虛名、蠅頭微利,暑]一樣不是得而復失,樂而復憂的所


19:39 | 除妄去執 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑
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